ハインリヒ=シュッツ
" Die Sieben Worte unsers lieben Erlosers und Seligmachers Jesu Christi 我らの愛する救い主にして祝福の与え手なるイエス・キリストの七つの言葉 " SWV478
ソプラノ:エルセ・トルプ
アルト:リネア・ロンホルト
テノール:アダム・リース
テノール:ヨハン・リンデロース
バス:ヤコプ・ブロッホ・イェスペルセン
サックバット:エリック・リンドブロム,エリック・ビョルキヴィスト,イアン・プライス
ヴィオラ・ダ・ガンバ:ユリアーネ・ラーケ,サラ・パール
オルガン:アラン・ラムスッセン
~* アルス・ノヴァ・コペンハーゲンのメンバーから
(2009年8月27-29日 コペンハーゲン・ガルニソン教会 録音)
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今年のイースターは4月24日なので来週は聖週間です。プレゼントが慣習化しているクリスマスと違って、イースターは殻に絵が描かれたゆで卵くらいしかメリットが無いもののキリスト教圏ではクリスマスよりも大がかりな祝日です。イースターの日曜日だけでなく、最後の晩餐の木曜日、十字架刑の金曜日と翌土曜日は「聖なる過越しの三日間」として特別大切な日とされてきました。春分の日の直後・最初の満月の日、その後に来る最初の日曜日がイースター、復活の主日であり、そこから逆算して四旬節等が定まります。日本の社会生活、俳句の季語や農事とはつながりは有りませんが、慣れるとイースターも春を感じさせます。
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ハインリヒ=シュッツの作品はこれまでヨハネ受難曲、マタイ受難曲と初期のラテン語モテットのCDを取り上げてきました。受難曲は最晩年の作品であり、いずれも無伴奏声楽で演奏されています。この、略して「十字架上のキリストの7つの言葉」は、それらより少し前に作られた曲で、オルガンをはじめ器楽も加わっています。このCDは昨年のヨハネ受難曲といっしょに1枚のCDに入っています。作品の構成は、導入部(重唱)と直後のシンフォニア、終結部(重唱)とその直前のシンフォニア以外は、独唱者が福音書記者、イエス・キリスト、十字架上の強盗を担当して歌います。中心は福音書記者とキリストで、特に前者は受難曲のように1人のソリストに固定せず各声部が交代で歌っているのが特徴です� ��
シュッツの「十字架上のキリストの七つの言葉」では、以下の順に言葉が歌われます。一つ一つを見れば疑問もわいてくる言葉です。だから「キリストの最後の誘惑」という映画や、ミュージカル・映画「ジーザス・クライスト・スーパースター」等十字架の場面を映像化した作品があって、いろいろ物議をかもしだしました。そうした作品に比べるまでもなく、シュッツの作品はシンプルで、淡々と七つの言葉の場面を音楽で再現して行くのみで、なんら扇動的なものはなく、それがかえって心に響きます。
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「父よ!彼らを赦したまえ。何をしているのか分からないのです。」
「婦人よ、これがあなたの息子です。ヨハネよ、これがあなたの母です。」
「よく言っておく、汝は今日、私と共に楽園にいるであろう。」
「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。わが神よ!何故私を見捨てたのですか?」
「私は渇く!」
「成し遂げられた!」
「父よ!あなたの手に私の霊を委ねます。」
この演奏はヨハネ受難曲の時も感じましたが、凍てついて冷え冷えとした空気の中に整った声楽アンサンブルがこだまする独特の世界で、シュッツのような古い時代の作品とは隔たりがあるような雰囲気です。古さを感じさせないなら再現芸術としては成功していると言ってよいはずです。しかし一方で、シュッツ演奏の権威でもある旧東ドイツのマルティン・フレーミヒが「シュッツの作品だけはドイツ語で歌わなければならない」と指摘するような、一種のローカル性、演奏スタイルの幅が狭い(のではないか)という性格も思い出され、その点はどうだろうと思えます。このような宗教音楽でもコンクリート、金属や樹脂で囲まれたコンサートホールで聴くのが通常である我々現代日本の聴衆からは、違和感のない演奏のはずが� ��妙な齟齬を覚えてしまうのは不思議です。この作品もフレーミヒの演奏で聴いてみたくなります。
今日は京都市内の山間部を車で走っていて、つづら折りの峠道が多かったので今でも横になると天井が回る心地です。それでも地震酔いよりはましです。府道杉坂西陣線という山間部を通る細い道路があって、かつては日本海側から京都まで鯖を運んでくる道の一つでした。今では抜け道のようなポジションで、帰路はそこを通りました。その沿道に京見峠を越えた北方に、「山の家はせがわ」というログハウスのレストラン、カフェがあります。なぜこんな所にと思うほど立派な店で、看板猫の「もも」さんがなごませてくれるのですが、この陽気で今日はお出かけで会えませんでした。看板猫のももさんは、去年の2月、ポール・マクリーシュ盤のマタイ受難曲の回で使った写真の猫です。去年はお昼ね中だったところを 、店主に許可をもらってシャッターを押したところ気配で起きてきたのが思い出されます。
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by TREview
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